2012年8月2日木曜日

言葉を紡ぐことは、自らを救う


沖縄でマドレ基金を利用してくれた早産児の母からアンケートの回答がこの時間に届く。
赤ん坊を寝かしつけて、せっせと書いてくれたんだろう。
何度もスクロールした。ものすごい文字数。

書き終わって、ぐっすり眠れているといいけど。
沖縄の夜はやっぱり暑くて寝苦しいのかな…

マドレ基金の利用者には、かならず終了後にアンケートにお答えいただいている。
回答率はいまのところ100%。
そして「他の人にも、マドレボニータの産後クラスの受講を勧めたいですか?」
との質問に対して「絶対勧める」も100%。手前味噌だけど…

そんな彼女は
「誰かに声を掛けてもらわなければ自分からは絶対に足を運ばなかった、
そのくらい社会を遮断している」
と早産母のリアルを吐露してくれた。

クラスに参加するまでの自分自身の過酷なストーリーと、
クラスに参加して健康を取り戻した嬉しさについてをひとしきり書いてくれた。

そのあと、
同じ職場で退職していった障害をもつ子の母に言及し、その人の涙が忘れられない、
一人で頑張らなくて良いこと、今の自分と向き合う時間を作ること、
このきっかけを手にするチャンスをひとりでも多くの母に繋げてあげたいと綴ってくれた。

過酷な境遇から自分のことでいっぱいいっぱいだった時期から、
こうして人のことにも思いを馳せられるようになるというのは、
本人にとっても「尊厳を取り戻せた」と実感できる変化だとおもう。

こうやって、言葉を紡ぐことは、自らを救う、と思っている。
でも、乳飲み子の世話をする日々のなかで、自分のこと、自分の思いを
言葉にして綴る機会はどれだけあるだろうか?

産児・低出生体重児、障害のある児、多胎児などの母の産後は、
産後の養生もままならない状態で赤ちゃんの世話に突入し、
産後はひたすら慌ただしく過ぎる。自分のことを振り返ったり、
外に発信したりする余裕はない。

だから、その存在は、知られることなく、ないことにされてしまう。
一番、他者の介入、支援が必要なのに、社会から遮断されている。

だから、すこしでも、身近なところからでも、
おせっかいする人が増えたらいいとおもう。
この彼女にマドレ基金を紹介してくれたお友達のように。

本人が社会に対して自分を遮断させてしまっていても、
まわりが手をさしのべればいいのだ。

そのためには、こうして当事者が自分を振り返り、語る場が必要だ。
そういった機会を用意し、世の中に向けて代弁することも、
私たちのようなNPOが担う役割だと思っている。