2012年7月26日木曜日


ユーロスペースで坂口恭平氏をフィーチャーしたドキュメンタリー



坂口氏は昨年、熊本のゼロセンターで七尾旅人のライブをUstしてたのを観たのを最後に
すっかりノーマークだったのですが、(もっと前にタマフルの推薦図書特集でも褒められてましたね)、
最近、水道橋博士が薦めていたyoutubeを観たらすっごく面白くて、
かつとてもまともなことを言っていて、一気に注目の1人となった。

まだ彼の著作はすべて読み終えてないのだけど、まずは、
隅田川のエジソン』『独立国家のつくりかた』などを立て続けに読んだら、
これまた面白くて素晴らしく、つきなみな表現だけど希望が湧き、元気がでた。

坂口氏の著作からはMacのキーボードの音ではなく、
歌みたいな声がきこえる。
文章を読まされている感じがしなくて、
歌をきいてるように、文章のリズムが心地いい。

映画に出て来る坂口氏のトークは、
最近のキレッキレの坂口氏の喋りの7割くらいの勢いと切れ味だった。
最初っからあの勢いで喋れてたわけじゃないんだな。
ああやって、ひとつひとつ、自分の身体をつかって、行動して、
言葉の精度を上げてきたんだ、と思った。

坂口氏の一番の魅力は、身体から始まってるってこと。
人に会い(この映画では、隅田川のエジソンこと鈴木さんや、多摩川のロビンソンクルーソーこと船越さんなど)
自分の身体をつかってモバイルハウスの寸法を決め、
のこぎりで木を切り、そのやりかたじゃダメだと怒られ(笑)…

そうやって、からだ使って行動しながら考えてる。
考えることをやめない。
思考停止した世の中の常識に挑戦している。

映画では、小説『隅田川のエジソン』のモデルになった
鈴木さん本人がでてきて、動いてる鈴木さんをみることができたのも、
なんだか、すごくむねあつだった…。
部屋に、時計が掛けてあるのがなぜか印象的だった。

河原に自分で家を建てて住んでる人たちに
家の建て方を教えてもらう様子は、なんだか本当にワクワクしたし、
そして、その家に、車輪がついて動き始めたときは、すごく興奮した。

そのモバイルハウスを本当に車輪を動かして移動させている様子には、
ワクワクを通り越して爆笑してしまった。

吉祥寺の駐車場にそのモバイルハウスを運ぶ道すがら、
とおりすがりの子どもに「何してるんですか」と訊かれて
「これ、僕の家なんですよ」「カッコイイねー」
というやりとりには、映画館でも爆笑が起きていた。

パンフレットでプロダクションノートを読んで、
あの、あの家を駐車場に運んで、ピザを配達してもらったりする
あの痛快なくだりは、3.11の震災の直後だったことを知ると、
これはまた、違った味わいがある。



2012年7月11日水曜日

『サニー 永遠の仲間たち』

いろんな人が絶賛してた『サニー 永遠の仲間たち』
遅ればせながら新宿武蔵野館でやっと観ました(武蔵野館大好き)。
あれだけ話題になっていたのに、予告編を一度も観ずに、
映画から観る事ができたのも思いがけず幸せでした!

宇多丸氏のハスリングも走りながらやっと聴けて、
私も宇多丸氏にほぼ同感、「間口は広いけど、実は奥も深い」
「秀作」だと思いました。

この作品、『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー傷だらけのライム』を
彷彿とさせるという人も多いですが、その実在感は同じくらいあると思います。
B-hackを初めてyoutubeで観たときも、あの5人が俳優だってにわかに信じられず、
おもわず俳優さんの名前をひとりひとりググってしまったほど。

サニーのパンフレットをみながら、それと同じ感覚を覚えています。
俳優さんが演じてるっていうことが不思議に感じられるくらい、
あの7人は存在している…。

ポッキのリハビリうまくいくといいなぁ、クムオクは出版社で頑張ってほしいなぁ、
イム・ナミはこれからどうすんのかなぁ金持ちの夫にお金で飼い殺されてる人生に
甘んじることはもうできないんじゃないかにゃーとか、
登場人物のその後に思いを馳せてしまうのは、よい映画だった証拠。

ジニやナミたちの不健康な男女関係がちゃんと批判的に描かれていたのもよかった。
日本映画ではなかなか、ないと思う。

 というわけで、サニーは最高の作り話でした。
高校生のナミと現在のナミが同じ場所に居合わせるという
映画ならではの表現も、一歩間違えば陳腐になりそうなのに、
ぜんぜん自然なかんじで切ない気持ちでいっぱいになりながら観ました。

映画は、作り話ならこのくらい巧みに作り込まれたものじゃないと、
なかなか引き込まれないです。最近の日本の映画では、
サイタマノラッパーとサウダーヂくらいです。
ちょっと前だと、橋口亮輔監督のハッシュ、是枝監督の花よりもなほ、
松本人志の大日本人くらいかな〜。

他のいろいろな映画はやっぱり作家の作り話に
お客さんがつきあってあげているものが多い気がして、
なんだかな〜、みんなやさしいなぁ(悪い意味で)
って思ってしまいます。

2012年7月8日日曜日

友達におせっかいする人生




産後20日の千絵ちゃんヘルプにいってきました。
千絵ちゃんにお世話になってる人たちで交替でヘルプにいってます。
先週は、まだ起きあがるのがツライという状態だったけど(産後二週間)、
今日は、起きあがりたいという欲求がでてきたって。

でもまだ布団はリビングにしきっぱなしで、いつでも横になれるようにしてある。
そして、シャバの空気も吸いたいけど、まだ外に出られる感じじゃないから、
私たちの運んでくるお喋り(ゴシップとか!)が、すごい栄養になるーって。


産褥期の4週間は、あまりに怒濤すぎて、あっというまに過ぎてしまうので、
あまり語られることがなく、一般的にも軽視されがちですが、
こうして、寄り添ってみると、ほんとに一日一日、
すこしずつ体が回復していき、赤ちゃんも成長してくのがわかる。

この変化は、本人ですら忘れちゃうかも。
人気のある育児エッセイや漫画も、たいてい
産後2〜3カ月くらいのとこからスタートするよね。

出産したあとの1カ月間、産婦は確実に最初は弱っていて、
睡眠も、細切れで、、、ぐったりしている。
それを、産婦と、その夫(あるいは両親)だけでケアするのは、
やっぱり、やっぱり限界あるよ。

エッセイや漫画に書/描かれてないから、実態が知られてないので、
本人も、産む前まではタカをくくっていて、
あんまり備えてなかったりする。
それで、翻弄されてるうちに、4週間たってしまう。


そして、この時期って、見事に、人が寄り付かないんだよねー。
みんなfacebookに赤ちゃんの写真がアップされてたりすると、
おめでとうー!congrats!みたいなコメントが50個とかついたりするけど、
そのうち、産婦のからだを気遣うコメントは何個ある?

そして、そのコメントをした中で、
赤ん坊うまれて大変だよね、手伝いにいくよ、と申し出る人は、何人いる?
いや、むしろ、「子ども生まれたから、家族水入らずでそっとしておこう」
っていうふうになっちゃうのね。

今回、千絵ちゃんとの共通の友達にも、
ヘルプ行きたい人はぜひー!って声かけたけど、
マドレ以外の人たちから手をあげてくれたのはたったひとり、
iLEAPのいずみさん(シアトルから来日してた)だけだった。

※いずみさんの、人としての素晴らしさについてはまた別ポストで。いずみさんとこういう形で一緒に過ごせて嬉しかったなぁ。

みんな、それぞれ仕事が忙しくて、よそのうちにいって、
赤ん坊や産婦の世話なんてする余裕ないのかもだけど。
(でも飲み会に行く余裕はあるんだよね)

産後の友達の家に、沐浴やら洗濯やらを手伝いにいくっていう
そういう文化を広めようってことで、
『産褥記2』っていう本も出してるんだけど、
なかなか、その実践をマドレ界隈の外に広めるのは難しいですね。

まだまだ力不足です。

でも、これは、まだまだ懲りずに提唱していきたいと思ってるんだ。
ライフスタイル、生き方の問題として。

友達が元気なときに、元気な状態で会うのは、
そりゃ、ふつうに楽しい。
飲みにいったり、延々とおしゃべりしたり。

でも、その友達が出産したばかりのときとか、
弱ってるとき、人の手が必要なとき、
そういうときにも、会って、手をさしのべる、
そういう生活がしたい、と思ってます。

そっとしておく、のではなく、おせっかいする。
だって、産婦から、お願い、って頼めないもん。
S.O.S.って、自分からはなかなか出せないもんです。
いざ出したときは、もう、よっぽどの状態になってる。

そうなるまえに、身近な友人が、介入したらいいじゃない?
だって、数ヶ月前までは、一緒にゴハンたべにいったりしてたのに、
赤ちゃん生まれたらコンタクトしなくなっちゃうって、水臭すぎる。
こういうときにこそ、力になれるんだから。

たとえば、産後をこじらせて、うつになっちゃってからでは、
あんまり友達としてしてあげられることって、
残念ながら、ない。もう、治療と休養するしかないから。

ちなみに、千絵ちゃんとは、昨年の7月に
一緒にシアトルにいったご縁で知り合いました。
とても素晴らしい通訳の千絵ちゃん。
その頃は、子ども、考えられないんだよね、っていってた。

その後、マドレボニータと関わるようになったりして、
考えられない→考えてもいいかな、に変わったのかな。
↓この動画は、千絵ちゃんを講師に迎えて3カ月に1回ほど
↓実施していたトレーニングの様子。