2013年10月1日火曜日

高校時代

本日からマドレボニータは新年度。これから決算やら総会やらで昨年度のまとめ的なことはまだ残っているのですが、暦のうえではディッセンバー…じゃなくて、暦のうえでは年度始め…というわけで、心機一転、前からやろうとおもっていてなかなか手をつけられていなかった、マドレボニータの軌跡を綴るというのを始めたいとおもいます。ゆくゆくは本にまとめられたらと思ってるのですが、本の企画としてやろうとすると煮詰まるので、まずは荒削りでもブログでサクサク(とはいかないかもしれないけど)書いていきたいとおもいます。まずは高校時代にさかのぼって…

17歳の留学生
実は、この話を公でする機会は少ないので、身近な人でも知らない人が多いと思うのですが、マドレボニータ活動のルーツをたどると、17歳までさかのぼります。今の自分に大きな影響を与えているのが、高校2年の3学期から1年間、AFS交換留学生としてオーストラリアで過ごした経験です。ティーンエイジャーの男の子の母となった今でも、自分のティーン時代といまの自分は地続きで、その頃のことはリアルに覚えています。

今でも折りに触れて思い出すことがあります。それは、留学前のオリエンテーション合宿で出会った、あるフレーズです。これは、12ヶ月の留学生活のなかで経験した何よりも、大事なことだと今は思っています。

「あなたは、草の根で交流する留学生が増えれば、純粋に世界が平和になる、なんてナイーブなことは、まさか考えていませんよね」
というようなものでした。(正確な文言は覚えていないのですが…)

そう、AFSのルーツは、第一次世界大戦が勃発した1914に、パリにいたアメリカの青年たちが、傷病兵を病院に搬送する「野戦奉仕団」(American Field Service)の活動を始めたのが始まりで、その活動をしていた彼らが、「傷病兵のケアすることも必要だが、そもそもこんな戦争をなくす取り組みをしなければ」といって1947年に始めたのが、高校生の異文化体験のための交換留学という取り組み。それが今のAFSに続いているわけです。今では、そのネットワークは世界で50カ国以上に広がっています。つまりAFSが目指すのは「世界平和」なのです。

AFSの留学と一般の私費留学の違いは、AFSでは語学などの特定の技能を身につけるために留学するのではなく、「異文化で生活する」という体験を通して、人としての柔軟なあり方、異文化を受け入れる姿勢、といったものを身につけるのが目的というところ。

私は16歳の時にこのAFSのルーツの話をきいてすごく感動し、自分の得のために留学するのではなく、世界の平和のために自分にも具体的にできることがあるのかもしれないという、そういう世界があるっていうことを初めて知り、ジョンレノンの唄みたいに、戦争のない世界をimagineしたいと思ったものでした。

頭のなかには、ジョンレノンのイマジンのあのピアノのイントロが流れてました。すっかりトウのたった今なら、こういう話をするときに「たとえナイーブ(幼稚)だと言われても」なんていう枕詞をつけてしまいますが、当時はほんとうに若かったので、そんな枕詞も必要ありませんでした。


さて、そのオリエンテーションのテキストはおそらく全世界で使われているもので、英語で書かれていました。当時の自分には、その意味がどうしてもわからず、英語力が足りないからかな…なんてぼんやり思っていました。が、同時に、自分が留学生として草の根で交流すること以上に何があるのか、わかっていませんでした。

そして、実際に1年間の留学を終えて、自分なりの手応えをもって帰国して、それでも、あのテキストに書いてあったことの意味はわかっていませんでした。

アジア人として受けたあからさまな人種差別、思いがけず3つの高校に通ったことで得た経験、ホストファミリーをチェンジしたこと、いくつもの家庭にいろいろなかたちでお世話になったこと、留学生である自分の存在が学校内の人種の壁をすこし崩せたこと、などなど留学先で経験したかけがえのないできごとひとつひとつ振り返るといくら字数があっても足りないくらいで、ひとつひとつが自分の血肉になっていると自負しますが、そのあたりのことはまた別の機会に書くとして、それでも、あのフレーズのことは、すっかり抜け落ちていました。

オーストラリアから1991年の1月に帰国して早々に同学年の友達は卒業し、私は1年下の学年に入り直しました。1年間の受験勉強を終え高校を卒業し、大学生になってからはAFSの派遣のボランティアでこれから留学する高校生のお世話をしたり、御殿場キャンプ(というインターナショナルキャンプ)のボランティアで日本に留学している高校生と国内の高校生のお世話をしたりしていました。が、まだ、しばらくそのテキストのことは忘れていました。

そして、大人になって、マドレボニータの活動を始めて、数年かかって、やっとその意味がわかったのです。

草の根の国際交流はほんとうに有意義なことだけれど、そのような経験ができるのは、進学校の女子校でもひと学年に1人か2人。当日、恥ずかしながら自分では自覚していなかったのですが、本当に恵まれた人の特権だったと思います。数として留学生が増えたところで、いつか世界が平和になるなんていう考えは、やっぱりナイーブすぎると今ならわかります。世の中にはその何万倍の人が暮らしているのですから。

10代という二度と戻らない若き日々に、物理的、精神的に適切なサポートを受けながら、異文化を体験し、異文化における自身の判断留保やコミュニケーションの難しさを身を以て知り、もがきながらも一年間すごすという経験は、日本にいたら絶対にできないこと。思い返せば返すほど、本当に貴重な経験をさせてもらいました。

先ほど引用したそのテキストが言わんとしていたことは、その貴重な経験を、若き日のよき思い出として自分だけのためにとっておくのではなく、その経験をほかの誰かのためにも活かして、世の中をすこしでも平和に導くべく、世に出てリーダーシップを発揮してほしい、という意味だったのだと、後に理解しました。

これはノブリス・オブリージュの考え方にも近いかもしれませんが、本当はこういうことは、自分で大きな声で言うことではない…と思いつつ、それでも、このことには常に自覚的であるべきと思い、こうして文字にして綴っています。

実際、AFSの卒業生には、アナウンサーの安藤優子さんや歌手の竹内まりやさん、国際ジャーナリストの小西克哉さん、前広島市長の秋葉忠利さんなど、ほかにも名前を挙げきれないほど、世界の平和に貢献するリーダーを輩出しています。私が大学で最も影響を受けたアメリカ文学の佐藤良明先生や、私のメンター的存在である世界のNPOリーダーを育てるシアトルのiLEAPという団体のイズミヤマモトさんもAFS卒業生です。

1998年に最初は一人で始めたマドレボニータの活動を、2007年にNPO法人化し、より公共性の高い活動にしていこうと努力しているのも、高校生のときのその経験と、大人になってからの気付きがあったから、というのがあります。

興味の赴くままに行動した大学時代へ
 …とここまで書いてきて、なんだか、ちょっと、優等生的すぎるわ…ちょっと美化しすぎじゃないかな…と心配になってきました!なんだかこうやって高尚なことを言っていますが、それは、いま振り返ってカッコつけて言っていることでもあり、実際にここまでの道のりには、もっと暗黒面もありました。それはそれでどこかで書きたいと思っていますが…

そんなわけで次回は、進路もなにも決めておらず、興味の赴くままに行動していた大学時代のことを書きたいと思います。今、思い返すと、その頃の自分も、今につながっているのですが…

(つづく)